3-1 大阪湾センターによる自治労申し入れへの回答(1982年3月11日)
大阪湾では、法案成立・施行の翌年となる1982年3月1日に、法律に基づいて大阪湾広域臨海環境整備センターが設立され、具体化が進められていった。
フェニックス法制定においては、東京湾、名古屋、大阪湾、北九州が、その建設候補として検討されてきたが、実際に処分場建設が行われたのは大阪湾のみとなっている。
資料 「フェニックス計画の経緯と今後の課題 -大阪湾広域臨海環境整備センター交渉経過―」自治労本部・自治労近畿地連 1985年11月
申入れは、1982年3月1日付の「大阪湾広域臨海環境整備センター設立にあたって(申入れ)」 全日本自治団体労働組合 近畿地区連絡協議会 議長 植田末廣 ほか副議長5名連名
回答は、1982年3月11日 大阪湾広域臨海環境整備センター 理事長 戸谷松司(兵庫県副知事)。
(内容公開調整中)
センター法においては、周辺環境の保全に万全を期すことや、組織体制などは明記されていることではあるが、「廃棄物の発生抑制」については、必ずしも法に明記されているものではない。フェニックス法制定やセンター設立において、将来のごみ増加・環境問題に対する歯止めとして、社会的合意として培われてきたものであり、フェニックスセンターの存在が「ごみの発生を前提としているものの、それを社会的に減らしていく役割も担う」という一見矛盾する位置づけとなっている。
法人設立の最初の段階で、「廃棄物の発生・処分量の減量化」に関して、「国、関係地方公共団体、廃棄物の発生者と協力」する努力を進めることを明記していることは大きい。大阪湾フェニックスセンターの考え方の基盤であり、いかに理解してもらえるのかを最大限検討する必要がある。
公共的サービスには、自らの業務を減らすことが究極の目的であるものが少なくない。消防は、火事を消し、食い止めることが役割ではあるが、同時に火災発生を抑制すること(予防)も推進している。警察も、事件や事故の対応より、そもそも問題の発生を未然に防ぐことが第一であり、日ごろから業務が行われている。
消防や警察については、子どもからも社会的に尊敬され、万が一のときに助けてくれるからこそ、彼らが自分たちの業務の一つを減らすことになっても、火事や事件・事故を未然に防いでほしいという呼びかけが、あまり矛盾としては感じられず、むしろ共感できる内容となる。
残念ながら、ごみ処理(収集も含めて)については、同様に社会を守る役割を果たしているものの、「もしも」ではなく、日常を支えているものであり、問題が発生したときに何が起こるのかが認知されていない。また、日常的に業務としてごみ処理が行われているために、何かしらの問題が発生したときに、その業務主体の責任と考えがちであり、ごみを「適正に」発生・排出している人が自らの責任として感じることはまずない。こうした構造から見直していく必要がある。
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