自治労(全国自治団体労働組合)の関わりの背景

高度経済成長においてごみ発生量が急激に増加し、焼却施設、最終処分場の建設が間に合っていなかった。特に関東や関西など大都市圏で深刻で、最終処分場が数年で満杯となる一方で、都市圏で適切な処分場用地が見つからず、このままでは不法投棄になりかねない状況に至っていた、そこで厚生省(当時)が主導して、自治体共同で大規模な海面埋め立てを行う「フェニックス計画」を進めてきた。運輸省(当時)がベイエリアの跡地利用をすることなど、各省庁が協力する形で、計画がすすめられた。 一方、ごみ量に対応するため、焼却炉や処分場の整備を急速に進めるなかで、全国で反対運動がおこる中、分別回収を通じたリサイクルなども始まり、大量生産・大量消費そのものを改善すべきという風潮が広まってきていた。大阪湾を含む瀬戸内海についても、閉鎖的海域であることから、「瀬戸内環境保全特別措置法」が1973年に制定され、他の海域よりも厳しい規制が課せられ、環境汚染に対する目も厳しくなっていた。 自治労は地方自治体で働く職員からなる組合員によって構成された労働組合である。労働組合は、本来は労働者の権利確保を目的に作られ、雇用者と交渉ができる組織ではあるが、ごみに関しては現場労働を行う立場としての問題を訴えるほか、社会問題としてのごみ問題をテーマにとりあげ、市民らと協力しながら行政との交渉が行われてきた。  また、当時のごみ行政に関しては、厚生省の中の「水道環境部」の下に置かれる位置づけであり、取り扱う問題は大きいものの、担当者の人数が限られていた。ごみの問題をこれ以上拡大させてはならないという危機感のもとで、枠組みを整備する意味で、監督官庁側も協力して、廃棄物全般についての議論が広がっていたとされる。 関連情報 厚生省水道環境部:現在はごみ行政は、環境省に移管されている。以前は「ごみ」として独立さえしていなかった。

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